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スレッド名:
投稿ID:541881
名前:蹴人
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恥ずかしいから、君こそ知ったかぶりしない方がいいよ。

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 「間違った日本語」の典型例の一つとされる言葉に、「的を得る」があります。『うまく要点をつかむ』という意味の「的を射る」の誤用とされたこの言葉ですが、実は近年では必ずしも「誤用」とは言えないという説の方が主流になりつつあります。

 「正鵠せいこくを得える」という言葉があります。
 「正鵠」というのは中国に由来する古い言葉で、本邦では主に「弓の的」もしくは「的の中心」を表し、転じて『物事の急所・要点』という意味で使われています。「得る」は、「要領を得た」等と言った時とほぼ同じ用法かと思われます。つまり、「的、あるいは的の中心を的確に捉える≒うまく(物事の)要点をつかむ」、という事――上記の「的を射る」とほぼ同じ意味になりますね。

 しかし、戦前はどちらかと言うと「正鵠を得る」の方が一般的に使われていたようです。また、「正鵠を得る」のバリエーションとして「正鵠を射る」という言い回しも若干ながら使われていたようで、そのせいもあってか「正鵠を得る」と「的を射る」の間にあまり区別はなくなっていったようです。

 ですが、一体何が有ったのか、戦後になってくると「正鵠を得る」は段々と使われなくなり、「的を射る」の方が一般的に使われるようになったと言われています。一説には、戦後間もない漢字や言葉の簡略化が進んだ時期(俗にいう「国語改革」一連の動き)に、「正鵠」を分かりやすい「的」という言葉に置き換えた結果だ、とも言われているようですが……。

 さて、上記を踏まえて「的を得る」という言葉について考えてみると、『「的を得る」は「的を射る」の誤用』と一概に言ってしまうには少々違和感が伴うのではないかと思います。「正鵠を得る」に「正鵠を射る」というバリエーションがあったように、「的を射る」に「的を得る」というバリエーションがあってもいいじゃないか、と。むしろ「正鵠を得る」からの変化ならば「的を得る」の方が自然にさえ思えてきますね。
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